なぜ0点を取ったか

相変わらず、色々な事の理解がかなり怪しい、ゆりりうすです。

今日は小学1年生の最初の算数のテストで

0点を取ったお話をします。

驚きますよね?私も驚きました。だって最初のテストなんてみんな100点を取れるようなテストです。それで0点。しかも全部答えを埋めて0点。

問題は例えば「りんごはいくつですか?」とか「りんごとみかんをあわせたらいくつですか?」というようなもので、間違える方が難しい。でも0点だったんです。

いったい私はどう考えてしまったのだろうか?この時、クラスの中でみんな「100点取っちゃった!」とか「満点だぞ~!」なんて言っている中で1人呆然としていたのですが、どういう訳か担任の先生は何も言いませんでした。何も説明しませんでした。

この事はずいぶんとショックを与え、以降0点なんてことは無くなりました。

その話をある日旦那に話したら、ある仮説を立ててくれました。

私はちょっと特殊な環境で育っています。母の趣味で、ごく小さな頃から映画、展覧会、絵本を多分ほかの子供より多く読んだり見たりしていました。

先生が渡したテストのわら半紙(って分かります?)に、手書きのりんごやみかんが並んでいました。恐らく、私にはそのりんごやみかんの絵が同じに見えなかったんだと思います。へたに沢山絵を見ているので、絵に疑問を持ったことが考えられます。そして文章。この文章は算数としての読み取りを求められていたのに、私は読み違えました。だから私は普通の文章のように読んでしまいました。

つまり、私から見てこのテストの問題は、りんごの数、みかんの数というより、違うりんごとみかんが並んでいるように見えたのでは。だから答えの欄に「このりんごは1つ、このりんごは1つ、このりんごは1つです。」あるいは「りんごとみかんはあわせられない。」こんな風に書いたのではないか、と旦那は言いました。

そう言われると答えを書く欄にはみ出すほどビッシリ書いた覚えがあります。

「0点事件」の真相は、こんなところだったのかも知れません。だから、次から問題の読み取りに気をつけた、と考えられます。

次もまた算数(私は算数で問題を起こす)の話です。

確か小学3年か4年で分数の割り算を皆さんやったと思うんですけど、あれ、すんなり分かりましたか?

私は分かりませんでした。なぜ、分数の分母と分子が逆になり、かけ算をすることで答えが導き出されるのか、全く分かりませんでした。

それで先生に「なぜそうなるのか分からない。」と聞いたところ、先生は「そのまま覚えればいい。」と答えました。

これ、文系の子(だと思う)が良く陥り考えてしまう公式です。

ジブリ作品の「おもひでぽろぽろ」の中にも主人公の子供時代のエピソードとして、これが出てきますよね?主人公は分からないので、お母さんに訴えると、お母さんは夕飯の支度の最中で2番目のお姉さんに算数を見るように頼みます。お姉さんは妹のどこか分からないのかが分かりません。妹は例えでケーキを使って「だって、こう考えたら、これはおかしい。」とケーキを切ることで問題の矛盾を訴えます。ところがお姉さんはびっくりした顔で「ねえ、お母さん、この子バカなの?こんな問題が分からないのよ。いい?学校で習った通りにやれば答えが出るのよ。」と怒ってしまいます。つまり、疑問の芽を摘んでしまいます。それで妹はすっかり自信を無くしてしまいます。

私も全く同じ経験を兄でしました。そしてやっぱり算数の自信を無くしました。その後、しぶしぶ納得出来ないまま分数の割り算をこなしました。これは私の中で「分数の割り算事件」として、長い間心の中にありました。

この疑問が解けたのは大学に入ってからでした。大学で仲良くなった人に大きい教室での講義中に私の長年の疑問を話してみました。その人はずっと算数、数学が得意でいつも5を取っていた人だったので、分数の割り算の仕組みを10分くらいで説明してくれました。納得できました。そういうことかと思いました。

と、同時に、なぜ先生や兄はその時こういう風に教えてくれなかったのでしょうか?あるいは先生は「今、説明すると長くなるから後で職員室にいらっしゃい。説明してあげる。」とでも言ってくれれば、私はもっと早くこの疑問を解決することが出来たのではなかったか、そう思いました。

意外と日本の子供達の算数嫌いは、こんな風に分からない事をそのまま放って置かれて、進んでいってしまうので諦めて嫌いになるのでは?と思い当たりました。

そして、算数、数学の低空飛行は続くのですが、学生時代が終わるともうそういうことで悩まなくなりました。

旦那と結婚してから、こんな話を聞きました。旦那も学生時代に数学は得意ではなかったようです。でも家には難しい数学の本が山ほどあります。多分、私が一生手に取って見ることがないようなものばかり。

「なぜ、こんなに数学の本を読むの?」私は聞いてみました。すると旦那は高校生の時に数学の先生に言われたことを話してくれました。それは「君たちは本当にもったいないことをしているよ。数学は言葉なのに。世界中で通じる言葉なのに。」と言ったんだそうです。それでか分かりませんが家の旦那は学校を出てから、数学の本を読むようになったらしい。面白いです。

でも、と考えます。数学者になる人は、子供の頃からずっと算数、数学が得意だった人ばかりなのでしょうか?私は、数学者の人達は、もっとゆっくり一生を賭けて数式を解くのが好きな人達がなるのではないかと思うのです。だって、数学が言葉ならば、その言葉の意味を考えて一生を終えることは、ずいぶん幸せなことではないですか?

かのアインシュタインは高等数学が苦手だったそうです。でも世界中の人が知っている理論物理学者です。

私がなれたかどうかは分かりませんが、子供時代に算数が良く分からなかった子に、もっと丁寧に教えてくれる先生と会うことが出来たら、その子は数学者や物理学者になったかも知れませんよね?もしそうなんだとしたら「実にもったいない!」

数学じゃないけど、家の子供達のお勧めで科学のマンガ「Dr.ストーン」と生物のマンガ「はたらく細胞」は「実におもしろい!」です。