子供のプライド

こんにちは。ゆりりうすです。

今日は“こどもの日”ですね。いやーしかし、なかなか暑い!昔、学校で日本は温暖湿潤気候だと習ったような気がしますが、違ったかな?年々暑くなるのが早くなっています。

“こどもの日”にちなんで、子供ってどんな風に考えているのかを書きたいと思います。と言っている私がもうとんでもなく大人な訳ですが、色々覚えている事や、知っている事、聞いた事なんかをつらつら…という感じでやります。

私の母がお母さんになる頃(ずいぶん昔です)は、子供というのは1才くらいまであまり何も分からないので、まあ適当で大丈夫とか言われてたらしいのですが、これは現代では結構トンデモですなー。1才はおろか、赤ちゃん、もっと言っちゃえば胎児だって色々なことが分かるっていうのが、今の定説だと思います。

それから、妊婦は好きなだけ食べていいというのも。だから、母は体が小さかったのに、好きなだけ食べたので太ってずいぶん大きな子を産みました。まあ、私の兄なんですが。

これは最近は、妊婦、子供ともに負担が掛かり妊娠中病気になりやすい、ということで増えて10kg前後だと、私の頃はそう言われましたけど、今もそのままかな?

母は私が体重制限しながら「妊娠ライフ」をしていたのを「また流行なんでしょ?今に変わるわよ。」と言っておりましたが、様々な研究の末、今に行き着いていると思うので、流行ではないですよね。お医者さん達は頑張っています。日進月歩です。

さてさて、また飛んで今日のタイトルの子供のプライドにまつわるお話です。

私が通った小学校では、大体4人くらいが1年生から6年生まで同じクラスになるように設定されていたようです。すごく出来る子、まあまあ出来る子、普通の子、あまり出来ない子の4人を組ませていたと思います。何しろ子供の数が多かったですからね。学校も頭をひねりながら考えたんでしょう。だから私には1年から6年までに私を抜いた3人の同じ顔ぶれがずっと一緒だったのですが、その中のあまり出来ない子だったA君(仮)のお話をしたいと思います。

A君は1年生の時からずっと成績が良くない子でした。まあ、ぶっちゃけテストはのび太並みというところ。でものび太と違っていたのは、性格が少しひねていました。どうして、そうだったのかは分からないけど、いつも「けっ、面白くない。」という顔を6年間続けていました。クラスの人とも積極的に関わろうとしませんでした。B君という男の子とだけ話しているような感じでした。B君はずっと一緒だった子ではなく5·6年で一緒になった子です。不良ではないけれど、難しい子だなぁ、と思っていたので私は6年間一緒だったけど(ちなみに私は普通の子)、特に仲良くするでもなくなんとなく一緒のクラスにいました。

ある日のことです。A君にとって大変なことが起こりました。社会のテストで100点を取ったのです。なぜそれをみんなが知ってたかというと、5·6年で私達の担任になった新人の女の先生がそう言ったからでした。彼女はこう言いました。

「みんな、A君が100点を取りました。初めてですよ。拍手しましょう!」

みんなは驚いたけど、もっと驚いたのはA君だったでしょう。みんなは先生に促されるままに拍手を始めましたが、その時A君の顔を見て「ハッ!」としました。A君は嫌そうに、苦しそうに大きく顔を歪ませていました。

先生は嬉しそうに、大きく拍手をしていたけど、私達は止めました。A君が傷付いているのが分かったからです。A君のプライドがズタズタにされた瞬間でした。

もし、みんな1人1人が100点を取った時に拍手をする習慣があったのなら何も思わなかったでしょう。でも、先生はA君の時だけそう言ったのです。先生は良かれと思ってやったのでしょう。でも、私達はみんな気まずくなり、中には下を向いてしまう子もいました。

KYという言葉がありますよね。空気が読めない、という意味で使うそうですが、その時KYだったのは先生でした。

今の子はみんな大人に気遣うのが上手です。そういう風に育てられているから。

でも、私達の時代はそういう言葉はありませんでした。その代わり、子供同士の間で空気を読むことが出来ました。

色々な子供がいたのです。身体の障害を持っている子、貧乏な子、勉強の出来ない子、大人しい子、うるさい子、乱暴な子、わがままな子、外国から来た子。

だから、子供どうしでもきっとこの子は、こういう所を触れられたくないだろうな、という気持ちはみんな汲んであげるのが上手でした。それが当たり前でした。

でも、先生にはそれが分かりませんでした。クラスはシンとしてしまいました。そしてA君が椅子に座りました。先生もクラスの雰囲気がおかしいことに遅まきながら気が付いて真面目な顔になり拍手を止めました。みんなはA君に二度とその話をしませんでした。

これはきっと彼の傷になって残ってしまったでしょう。晒し者にされたのです。大人が子供のプライドを踏みにじる瞬間をクラス中で目撃しました。

それから何十年も経って、今度は私の次男のお話になります。

次男は1年生の時から授業中、黒板に書かれたことをノートに取るということをしない子でした。でも、授業が分からない訳ではありません。ただジーっと黒板を見て、自分の中でそれを消化していくのが彼のやり方でした。だから、ある時突然「あっ、そうか!」と言ったりしてみんなが驚いていたみたいです。みたいです、と言うのは私が次男の1·2年生の時の担任の先生から面談で聞いていたからでした。

その先生はわりとおおらかな先生で、次男がノートを取らなくても、気にせず分かった時に声を出すので、それで次男の勉強の習熟度を図っていたようです。

「次男君はとても面白いです。彼が[あっ、そうか!]とか[わかった!]って言うとあっ、この問題は大体みんな分かったかなー、と思って彼の反応で授業を進めていました。」と言ってくれました。良い先生だなぁ、と思って私は嬉しくなりました。実は次男はちょっとグレーゾーンと言われてた子だったので、私達親も心配だったのですが、彼に無理の無いように、楽しめるようにやらせていました。その事を先生に話した訳ではなかったけれど、先生は分かってくれていました。大変ありがたかったです。なので、宿題も音読以外は好きにさせていました。特に「やりなさい!」とも言いませんでした。でも、彼の成績はいつも良かったのです。

問題が起きたのは3年生になった時でした。新しい男の担任の先生と面談をした時に私はこう言われました。「次男君はなかなか宿題をやって来ないので、宿題をやって来た日はみんなで拍手をするのです。」「えっ?」私は耳を疑いました。そして頭の中に小学生の時のA君の顔が浮かびました。次の瞬間私は先生に怒鳴っていました。「先生、何て事をするんですか!何をやったか分かっていますか?あなたは次男を傷付けたのですよ。家ではそんな話をしないから知りませんでした。でも、あなたのやった行為は次男を恐ろしく傷付けたのです。前の先生に次男の事は聞いていなかったんですね?言わなかった私も悪いですが、二度とそのような事はしないでください!」

先生はびっくりして私の顔を見て、それから謝りました。若いし、やはり良かれと思ってやったのでしょう。でも、それは次男にとってきつい経験でした。また、私達の時代と違ってクラスの友達も先生の言う事をきちんと聞いてしまいました。

次男はだからといって、学校に行きたくないとも、もう嫌だとも言いませんでした。でも、私の方がショックを受けてしまいました。

今、その話をしても次男は覚えていないと言います。でも、大人はちょっとしたことで子供のプライドを傷付けてしまいます。私はA君の過去があったので、次男の時はすぐにそれは子供のプライドを傷付ける行為だと分かりました。

うーん、今回はちょっと重い話になってしまいました。でも、“こどもの日”ということで今、この国で若者の死亡の原因のトップが自殺というのが悲しすぎるので、こんな話を書きました。

次はもう少し楽しいお話をしますね。

でも、このお話で皆さんの気持ち、過去の子供時代の気持ちの中で少しでも「よかった探し」が出来るといいなと思っています。