Oh swimming!

こんにちは。ゆりりうすです。

昨日、久しぶりに、それこそ数十年ぶりに市民プールに行ってきました。プールで最後に泳いだのが高校生で、室内プールで泳いだのが、たぶん小学生で、いや、どんだけ久しぶりなんだ!

以前から娘にずっと誘われていたんですけど、去年は断っていたので今年は行くことにしました。理由は夜、ぐっすり寝たいからですね。何しろ、頭脳労働(?)ばかりなので、ちっとも体を動かしていない。

それで、行く前に水着はこれでいいだろう、とずいぶん前のを取り出して着て見たら、無理矢理入ったという感じでした。おまけに形が古い!いつ買ったんだっけ?と考えてみると20年前位だったような。その水着を着て、スイムキャップを被って、瓶のサイダーを持ってニッコリしたら、まるで大正時代のポスターのようです。

娘にダメ出しをされたので、急いで安い衣料品チェーン店に行って今どきのを一式揃えました。水着って残酷な程、体型がクッキリ出てしまうので辛いんですが、今どきの水着はほとんど肌を晒すことがないので私でも安心です。ふー、やれやれです。

そして、迎えた昨日。数十年ぶりなんで、最初は歩くだけのコースで2週くらいしました。でも、真ん中が深くなっているので、そのポイントで溺れそうになる。あと、歩くだけって以外と疲れる。

だもんで、もういいや、と思って普通の泳ぐ(でも、足は着いてもいい)コースで、いきなりクロール。25mプールなんで以外といけた。じゃあ、学生時代に得意としていた背泳ぎをしてみたら、これもキレイにいけた。

という訳で、足を着かないで行くコースに入って、クロールと背泳ぎを交互に1回づつ泳ぎました。いけた。

でも、最初の30分はわりとキツかったです。本当に久しぶりだったので、「えっ、まだ30分!」とビックリしていました。でも、あとの1時間ちょっとはもう慣れました。

だから、自分で真剣に泳ぐ、娘の水泳指導をする、旦那と次男のパンツを下ろすために潜る、をやっていたらすぐに時間が経ちました。パンツ下ろしをしていたら、男性陣に「小学生か!生き生きしてる!」と叫ばれました。プールの監視員の目が冷ややかでした。

途中で1回、「ねー、見ててー!」と言ってみんながキョトンとしている前で、初めてのバタフライをやってみました。家族は驚いて「トドが溺れているのかと思った。」って失礼だし、トドは溺れないですよね。

結局、1番楽しんだのが私なので、来週から通うことにしました。でも2時間運動するって久しぶり。更衣室でいきなりお腹が鳴りました。なので、帰りに駅前まで出て遅いランチを食べてタクシーで帰ってきました。こんな贅沢は毎週していたら破産してしまうので、来週からご飯を食べてから自転車で出発です。掛かるのはプール代だけです。

いいかもしれないです!夜、ぐっすり眠れるかと思ったらそうでもなくて、結構私、体力オバケみたいです。次はもう少し泳ぐの真剣にやろう。

誘った娘がくたばっていました。

壊し屋!

こんにちは。ゆりりうすです。

皆さんは物を壊しやすい人ですか?それとも、そうでもない?それとも、1度だってそんなことはしたことが無い?いや、そんな人はいないのでは?誰でも何かしら壊した事がありますよね。物はいつか壊れるもの。

でも、始終壊してしまう。意図していなくても壊してしまう。

今日は壊すお話を書きます。

私は子供の頃から物持ちが良くて、自分はあまり物を壊さず大事に使っている方ではないかな?と思っていました。

いました、と言うからには、はい、実はそうではなかったのです。

普通の物は本当に物持ちがいいんですよ。例えば、小学校1年生から竹で出来ている30cmの物差しは今でも使っています。小学校2年生の時に買ってもらったオレンジ色の傘もあります。小学校4年生の時にくじ引きで当てた櫛は、何本か歯が折れているけど、毎日使っています。

ところが、電気関係、機械関係の物を私はいとも容易く壊してしまうのです。

不思議ですけど、何かの本で電気、機械類と相性が悪い人は確実に存在すると書いてありました。

私がそうです。何と言ったら良いのでしょう。何か狂ってしまうんです。電気、機械が。例えば、時計。アナログの数字が12まで書いてあるのは大丈夫なんです。でも、デジタルの時計なんかは、何かの弾みでちょっと触ってしまっただけで、狂ってしまうんです。少ーしの衝撃しか加えていないのに、我が家の目覚ましで使っているデジタル時計を、何度おかしくさせたかは分かりません。もう10回じゃ効かない位狂って、旦那に怒られています。

でも、怒られてもなぁ。わざとじゃないのに、おかしくなるんだもん!とちょっと不貞腐れてしまいます。

エアコンも壊したことがあります。私がリモコンを使うと壊れます。テレビのリモコンも、何度かやっています。電子レンジもある日そうなります。電子ジャーも、ある日いきなり死にます。なので、家電は恐くて乱暴に触れません。今、プレゼントでもらったおニューのミキサーがあるのですが、恐くてまだ触っていません。それを使ってスープやジュースを作りたいんだけどなぁ。駄目かなぁ。

それから、電気が切れる時もなぜか私が触った時に切れます。不思議です。たぶん電球の寿命なんだと思うのだけれど、必ず、私がトドメを刺します。

それから、これも機械に入れていいのかな?高校生の時、私は女子高に通っていまして、夏の暑い日に家庭科室でみんなでミシンを使って縫い物をしていたんですね。それで、私がミシンの針を連続で5本ほど折った所で、先生のストップが入りました。「ゆりりうすさん、もうやめて。」そして、先生が私の代わりにミシン掛けをしてくれました。私は暇になってしまったので、暑い日の家庭科室。クーラーの1つもない。そうだ、みんなを涼しくしてあげよう!と思い、先生が使っていたマイクを持って、家庭科室の水道に近付けてジャージャー水を流しながらマイクで涼しい音をみんなに届けました。

「皆さま、お暑いでしょうから、これで少しでも涼をお取りください。ではでは。」私が張り切って言うと、他の子達も「ゆりりうす、もっとやって!」「ゆりりうす、音が涼しい!」と好評でした。調子に乗っていたら、先生にマイクを取り上げられましたが、その時の私の縫い物はほとんど先生がやってくれたので、私の作品ではありません。

そういえば、ウッチャンナンチャン内村光良さんも、電気類を触ると壊れると言っていたような気がします。やはり、いるんですね。そういうのは、もうそういう種族だと思ってもらって、諦めていただきたいです。だって、わざとじゃないんです。もし、原始時代に生まれていたら何の問題もないと思いますよ。でも、今は何でも機械です。おまけにこれからはコンピューターの時代。何をやらかすか分からない、分かりたくない、ゆりりうすです。

もし、ある日、日本中のコンピューター及び電気関係が一気にダウンしたら、たぶん犯人は私です。

補足です

こんにちは。ゆりりうすです。

昨日は主に夢のお話を書きました。そしたら、女の友人(18歳からつるんでいる)から早速メールが来て、大学1年生の時、合宿先で寝言を言っていた男の子への言及がありました。

彼は合宿の昼間、ちょっとした自由時間に昼寝をしていました。そのうち何かしゃべり始めて、みんなで聞いているとどうやら夢の中でライブをやっている様子。本当は、こういう時に話し掛けるとまずいらしいのですけど、あんまり面白いのでみんなで、どんどん話し掛けてライブは最後を迎え、彼は「みんな、今日はどうもありがとう!Thank you!」まで言って締めくくりました。これも忘れられない夢の話ですね。

この話を教えてくれた彼女は、旦那さんと小さい頃の長女ちゃんが2人で寝言で会話をしていたのを聞いて、「何、こいつら。」と思ったらしいです。

彼女との付き合いは本当に長いので、お互い、良い所も悪い所も良い時も悪い時も知っています。でも、彼女とのことを書くとすごく長くなってしまうので、いずれ

「ヤンキー考“女子編”」で紹介したいと思います。

今日は短いので、最近私が読んだ本を紹介します。

「私の少女マンガ講義」萩尾望都(新潮文庫)

ロシア文学の食卓」沼野恭子(ちくま文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。渡航(小学館ガガガ文庫)

「女子高生の無駄づかい10巻」ビーノ(角川文庫)

薬屋のひとりごと11巻」ねこクラゲ(スクウェア·エニックス)

「教養としての上級語彙」宮崎哲弥(新潮選書)

「白い旗」水木しげる(講談社文庫)

「くもをさがす」西加奈子(河出書房新社)

「月と散文」又吉直樹(KADOKAWA)

好きになってしまいました。」三浦市をん(大和書房)

「ぼくの死体をよろしくたのむ」川上弘美(新潮文庫)

「ロリータファッションBOOK」監修:青木美沙子[日本ロリータ協会会長](マイナビ)

「残されたつぶやき」山本文緒(角川文庫)

聖☆おにいさん20巻」中村光(講談社)

「デジタル原始人」川原泉(白泉社)

「もぐ」最果タヒ(産業編集センター)

「街とその不確かな壁」村上春樹(新潮社)なんか読めないでいる。

「ビューティフルからビューティフルへ」日比野コレコ(河出書房新社)凄すぎて、天才すぎて、読後爆死した。

そして「49冊のアンアン」椎根和(フリースタイル)これは、明日電車の中で読むつもりです。

以上かな。

夢見る少女じゃいられない

こんにちは。ゆりりうすです。

皆さんは夢をよく見ますか?あるいは、寝る時いびきをかく、寝言を言う。私達は寝ている時でも、何だか静かではなく忙しいですね。ひょっとしたら、一度眠りについたら、ぴくりとも動かず夢も見ず、朝まで一直線という人もいるかもしれませんね。でも、その人は珍しいんですよ。

今日は夢にまつわるお話を書きます。

私は幼少のみぎりから、とにかくよく寝ぼける子でした。これには訳がありまして。私にとって夢と現実は地続きなんです。今も変わりません。

どういう事か?つまり夢は現実のままオールカラーで、触れるし、匂いもあるし、味もあり、痛みもあります。なので、夢と現実の区別がつかなくなること、しばしばです。一番小さい頃の寝ぼけた記憶はたぶん3歳位で、母から聞いた話です。何でも起きるなり、「お兄ちゃんが食べた!」と言って起き、騒ぎ、何もしていない兄を謝らせた事があるそうです。すごいですね。兄、申し訳ない。その後もちょこちょこ、そういうことがあり、私と結婚してしまった旦那は一番の被害者です。結婚当初から、起きていきなり「謝ってよ!」と言ったそうです。私は覚えていないのですが、旦那は新妻におっかない顔で詰め寄られたそうで、怖かったらしいです。

そう、起き立ての時、はっきり話しているのですが、夢の続きなので後で言われても本人はよく覚えていません。

最近はもっとひどいらしく、夜中に眠っている私の隣で旦那が本を読んでいると、突然話し掛けるんだそうです。「えっ?」と聞き返すと、そこから長いと小一時間位しゃべっているらしく、でも、朝私は何も覚えていません。しかし、あんまり旦那にそのことを毎日言われるので、どうやら、この頃私は寝言を言った後、旦那に「まあ、今そう言ったこともきっと覚えていないんだろうけどね。」と、ちゃんと自分で言い訳するんだとか。全く記憶にございません。ここまで来ると、凄まじいですね。

それでは、どんな夢を見ているのかと言うと、それはあまり大したこと無い、ごく普通のことが多いですね。あっ、割と突然歌わなくちゃとか、突然舞台の上とか、突然マイクで喋るなどのシチュエーションでは大抵上手くいきます。なんなら、お客様から拍手までもらっています。たぶん、根が楽観的なんだと思います。

それでも、子供の頃は恐い夢を見ることが多く、誰かに追いかけられて自分の家のドアを閉めて、「あー、助かった!」と思ったら、細い紫色の手が何本もドアの下から出て来て、悲鳴を上げながら逃げ続けるなんていうのもありました。

もう1つ恐い夢でよく覚えているのは、子供の頃の自分の部屋(2階)から、窓を開けて外を見ている。雨がザアザア降っていて、私にしては珍しくセピア色の夢でした。外を見ている視線の先には向こうに遠ざかって歩く人形がいます。じっと眺めていると、突然人形が振り返り、スーッと2階にいる私の高さまで浮かんで、くるりと完全に体をこちらに向けて、手を伸ばして私を指差すのです。これは恐かった。起きてからも心臓バクバクでした。

1年前から、死んだ父が夢に出て来て(父はずいぶん昔に亡くなっている)、「この家の下に地下室があるんだよ。」と言って来るのです。「えーっ?」と思い、下を見ると確かに見たこと無い部屋が地下にあり、それはその日によって違っていて、ある日は大きな図書館だったり、ある日はお習字教室だったり、ある日はスケートボードを沢山の人がやっている広場だったり、ある日は旅館の部屋みたいに整った部屋があったり。その頃、何で毎日父が出てきて「地下室、地下室」言うのか、全く分からなかったんですけど、最近色々な事があり、大きく私の中で変化があってから、ぴたりとその夢を見ることが無くなりました。あれは何だったんでしょう?何かの警告?よく分かりませんでした。

それから、2~3日前には、寝る時私と娘でまるで修学旅行の女子トークのようなことをしており(私は女子じゃないけど)、段々眠くなってきた私は娘が「パパはいつ上がってくるのかな?」と聞いたのを、「えっ、ワインがいつ出来るかって?」と聞き返したので笑われました。いやもう半分寝ている状態でした。

それから、夢の中だけに出てくる街があって、いつも同じなんだけど、実際には存在しない街です。子供の頃から変わらず出てきます。

次男と私は苦しい時、同じような夢を見ています。何度も何度も「あっ、夢だったんだ!」と起き上がって、でもそれも夢で、を延々と繰り返すのです。この夢を見る時は、大体何か現実に「こうしなきゃ」とか「これをやらなきゃ」みたいな、焦っている事があると見るようです。

あと、これは夢じゃないんだけど、子供達が小さい時、起きている間は暴れて爪が切れないので、眠ってから切っていました。夜、長男のオモチャの「ドラゴンボール」に出てくるスカウターの両側に電気が付いている物を頭に装着して、その小さな電気を頼りに暗い中、爪をパッチンパッチンと切るんです。その姿はまるで八つ墓村。人には見せられませんよ。

子供の頃、従兄弟が家に泊まりに来てた時、お兄ちゃんの方が「スイカ、スイカ、ポーン、ポーン。」と言っていたなあ。

旦那の下の妹は、高校生の頃夢遊病だったらしく、夜中に旦那が居間でテレビを見ていたら、「ガラッ」と部屋の戸が開いて、いきなりテレビを消して部屋を出て行ったそうです。旦那が「昨日、何でいきなりテレビを消すんだよ。」と聞いたら、「はっ?」と言われたとか。何かストレスがあったのかもしれません。

昔、大学生の頃のある友達の夢は、広場に噴水のようなものがあり、その噴水の飾りの上にリンゴがあって、そのリンゴが金色で、いきなり金色の水が沢山出てくるという話で、それってそうとう吉夢じゃないかしら?

別の従兄弟は、パートナーが寝ていて、明け方になると獣のような叫び声を出すのでびっくりする、と言っていました。パートナー、大変美人な人です。

その人は自分で好きな夢を見ることが出来ると言ってました。びっくり!!でも昔、岸田今日子さんが好きな夢を見る方法を話しているのを、テレビで見たことがありました。何でも、目をつぶって大きな柱を2本想像して、その柱の間に立って後ろ向きに倒れると好きな夢が見られるらしい。そこまで行くと私には難し過ぎてちょっとSFですが。

でも私は基本、何だか良い夢が多いです。あと、寝言もすごく真面目なことを言っているらしく、誰かの相談に乗っていたりするそうです。現実にはあまり無いなあ。

まあ、おしゃべりで根が楽観的じゃないとこういう事、してませんよね?

言っちゃった!

こんにちは。ゆりりうすです。

暑い!いきなり夏ですか?何だか年々、春と秋が短くなっているようです。美しい日本の四季はどこに?

今日は言ってはいけない場面でつい言っちゃった、お話を書こうと思います。

家では口が滑る順番は1位私、2位次男、3位長男、4位旦那、5位娘です。慎重派の娘はめったなことでは口を滑らせません。毒舌なだけ。ところが、そのお母さんの私が、よく口を滑らす。ええ、娘にはサザエさんとか呼ばれています。

言ってはいけない場面って、色々ありますよね。特に日本なんかそういうの気にする人が多いと思うので、粗忽者にはなかなか辛い環境です。

では、どこで、どんな風に口を滑らすのかと言うと、例えば、私が大学生だった頃サークルは実は軽音に入っていたんですね。はい、今までやったことの無い、自分の人生とは180度違うことをやってみたくなり、入りました。ちなみにボーカルでした(ポンコツだったけど)。

そのサークルにとてもベースの上手い1個上の先輩がいて、ベースを弾いていない時は特に格好いい訳ではないんですけど、ひとたびベースを弾き始めると超絶格好いい人がいました。ほら、桑田佳祐さんなんかもそうですよね。歌い出すと格好いいという…。うん、失礼ですね、桑田さん、先輩すみません。

で、ある日その先輩を含めた5~6人で学校の最寄り駅の近くの喫茶店に行ったんです。そこで、そのベースの先輩はちょっと変わった色の革ジャンを着ていて、「これどうよ?」みたいなことを言っていたんです。私は隣に座っていて、ついうっかりニコニコしながら「焼豚みたいですね。」って言っちゃったんです。みんなは爆笑です。笑ってないのはベースの先輩で、「ひどいよ、ゆりりうすちゃん、これ高かったんだぞ!」って叱られました。「すみません先輩、私にはそう見えちゃったんです!」ともう1発いきました。サークルで伝説の「焼豚事件」です。

それから、やっぱり大学生の頃、家が近くてよく車で送ってくれていた先輩がいたんですね。もちろん、只ではなくちゃんと一緒の授業の中国語を教える、という条件でした。でも、頻繁に車を出してもらってましたね。それである日、その先輩に「おい、ゆりりうす、お前にとって俺は何なんだ!」と言われちゃって、慌てて出たのが「運転手は君だ~♪」だったんです。またまた回りは爆笑で、その先輩は「なにー!」と怒りながら、つい吹き出してしまいました。

こういうことがしょっちゅうあります。

旦那と結婚する前に、私の部屋でダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ横浜横須賀」を聴いていた時も、ロマンチックな雰囲気だったのに、「ねえ、この女の人の人生ってすごいね。前バリ残して行っちゃったんだよ。なんか苦労があったんだね。」と言って旦那に爆笑されました。「違うよ、前バリじゃなくて、前借りだよ!」笑い転げながら旦那に言われました。「どうやったら、そんな間違いするの?」そう言われても、私にも分かりません。こういうマヌケエピソードが山のようにあります。

実は、次男も小学生の頃は私と同率1位か?というくらい口が滑る子でした。

次男、小学校低学年の頃、旦那の郷里の福岡でみんなでエレベーターに乗っていました。そこへ、「ちょっと待ってー!」と言いながら中年のややふっくらした女性が3人乗って来ました。私達は場所をあけてみんな乗りました。エレベーターが動き始めると次男がポツリと「よくこんなに乗れたもんだな。」と言って場をシーンとさせました。私は「バカッ!」と言って次男の頭をピシャリ。その途端3人組の女性が笑い出しました。「本当ねえ。」「よく入ったわー。」私達は謝りながら、次男はキョトンとしていました。空気がねー、全く読めないんです。本当に一瞬、水を打ったように静まりかえりましたからね。あれは、私達冷や汗ものでした。

もう1つはひどい。次男、小学5年生の時。学校で林間学校に行く日が迫っていました。担任の男の先生は「君たちも早く寝るように。先生達はその後もやることがあるから。」と言ったそうです。そしたら次男が「ふーん、キャバクラでも行くの?」と聞いて、クラス中大笑いだった、と後から先生に面談の時に聞いて、青くなりました。「えっ、すみません。いや、どこでそんな言葉覚えたんだろう?誤解です!」大慌てで弁解する私に先生は「いや、いいんですよ。本当に次男君は面白くて。私も慌てて『違うよ、仕事だよー!』って言ったんですけどね。」とにこやかにおっしゃる。私は帰るなり、「次男ー!あんた、いつキャバクラなんて言葉覚えたのー!」ってプリプリしながら聞くと、「えっ、銀魂だけど?」とまたキョトンとして言ったのです。しまった。家はみんな「銀魂」のマンガもアニメも大好きで、その中に出てくる女の人がぼったくりキャバクラに勤めていたんだった、と思い出しました。被弾を食らったのは旦那です。キャバクラなんて行ったことないです。少なくとも結婚してからは。でも、きっと先生達の間では次男君のお父さんだな、と思われたこと間違い無しです。

長男は、口が滑るというか、結構本当のことを言ってしまいます。かなり言ってはいけない場面で、本当のことを言うんです。言われて、気分を害した人の死屍累々が山のように。目に浮かびます。ちょっともオブラートに包みません。大分、しつけを間違いました。

しかし、旦那も私が言って欲しくないことを言ってしまい、よく私を怒らせます。短気な私は旦那に飛びかかろうとするも、子供達に羽交い締めされて押さえられます。子供達も慣れたもんです。

でも、1回旦那に決めてしまったことがあって、それを目の前で見ていた長男は、「こんなキレイなジャンピングニーパッドを見たのはジャンボ鶴田以来だな!」と言い、さらに私を怒らせるのです。でも、長男、何でジャンボ鶴田を知っているのかな?ネット社会ってすごい。

ごめんなさい!トンチキ家族のエピソードになってしまいました。

しかし、それって血かも?というのも、私の父も度々おかしなことをしていて。これは言ったんじゃなくて、言われた話なんですが。父が一時期禁酒をして、太ってしまったことがありました。まあ、家の家系は太る遺伝があります。その頃、楽屋に入って用意をしていたら、弟弟子が父をジロジロ見ながら、「あにさん、上海ブタみたいですね。」と言ったそうで、「ひでーよ!」と言いながら帰って来たことがありました。落語家の世界ってかなり落語のお話の中のエピソードみたいなことがいっぱいあったようです。

その父は、言っちゃうというか、やっちゃう失敗が多い人でした。例えば、靴の洗剤で頭を洗おうとしてみんなに止められたりとか、「んっ、これは何かな?」と言ってその当時飼っていたウサギのフンをすぐに口に入れて、みんなにびっくりされたりとか。いや、考えてから、っていうか落ちてる物をすぐ口に入れるな!ですよ。

あっ、また話がズレズレだ。もー、嫌だ。なんでこの家系は可笑しなエピソードに事欠かないんでしょうか?

ちーちゃんのパパ

こんにちは。ゆりりうすです。

本当は昨日、投稿したかったのです。でも今回はお天気のせいではなくて、スマホの充電器が壊れてしまいました。なので、コンビニに買いに行き正常になったのが今日。どうもすみませんでした。

今日は、私が会った有名人のお話をします。

子供の頃、東京23区に住んでいたので、わりと有名人に会う機会がありました。

それこそ、父が落語家だったので、楽屋に連れて行ってもらうと色々な方がいました。兄は小さい頃、楽屋で五代目柳家小さん師匠に絵を描いてもらったことがあるそうです。兄が「いぬ」とか「ねこ」とかリクエストすると、ちゃんと「いぬ」や「ねこ」を描いてくれたのだとか。

その父に連れられ300人劇場に行ったのが、小学生の時。その日の出し物は「マリー・アントワネット」でした。始まるまで席でソワソワしていたら、隣に座っていた父が「おっ、久しぶりですね。」と誰かとしゃべり出しました。私が父の反対隣の席の人を見ると、永六輔さんでした。

そして、父が亡くなると(私は23歳でした)、こんな派手なお葬式は見たことない、というすごいお葬式でして。落語協会から沢山花は届くは、それとは別にお花を送ってくれたのが、立川談志師匠、篠山輝信さん。弔辞を読んでくれたのが、五代目三遊亭金馬さん(同時)。古今亭志ん朝さんもいらした。

お葬式に来ていた、私の友達はみんなびっくりしていました。お葬式に間に合わなかったので、わざわざ家まで来て、お線香をあげてくれたのが、毒蝮三太夫さんでした。

高校生の時、二子玉川駅で電車を待っていると、反対側のホームに白いスポーツウェアでテニスラケットを持って立っていたのが、石黒賢さんでした。爽やかオーラで目がヤられそうになりました。

やっぱり、その頃かな。渋谷駅でカバンを男前な持ち方をして颯爽と目の前を通りすぎたのは小林聡美さん。同じく渋谷、井の頭線でベンチに座っていた足の長い大きな人は永島敏行さんでした。

小学6年の時、母と一緒に「マリー・ローランサン展」に行ったら、見ている最中なんだか花のようないい匂いがして、そのあとザワザワしてきて、そちらを見ると、沢山の人に囲まれた黒柳徹子さんがニッコリしながら歩いて来ました。匂いから入ってきた人は初めてでした。

でもねー、この記憶と一緒に私はその会場で、初の痴漢に遭ってしまい、あの日の「マリー・ローランサン展」は黒柳徹子さんと痴漢がもれなく一緒に思い出されてしまいます。黒柳徹子さんには申し訳ないです。

20才の時に青山のこどもの城で、世界絵本大会が開かれることになりました。その時私はアルバイトで、船崎克彦さん(ポッペン先生シリーズの方)の助手みたいなことをしていたのですが、船崎さんと歩いている時に後ろから「船崎さん!」と声を掛けられました。後ろを振り向かなくても、誰だかすぐに分かりました。なんとジャイアンの声をやっていた、たてかべ和也さんだったんですね。もうね、日本で声優さんにお会いするって、すごい衝撃と感激が一緒に来るんですよ。それくらい、日本の声優さんの威力ってすごい。しかも、ジャイアンなわけですよ。「心の友よ!」とも「のび太のくせにー!」とも言わず、普通に船崎さんと話していたのがすごく不思議で、まじまじと見てしまいました。

大学を卒業して、勤めたのが絵本屋さん。ある日、平田満さんがやって来ました。「友達の出産祝いに絵本をあげようと思うんだけど、どんなのを選べばいいのか分からなくて。」平田さんはそう言いました。私は張り切って、何冊かの絵本を選んで、プレゼント包みをして、平田さんに大サービスをしました。これを全部1人でやってしまったので、あとで、平田さんが帰られてから、一緒に働いていた女の子に「ゆりりうすちゃん、ずるい!」と言われ、昼食を奢ることになりました。

それから、若き日の片桐はいりさんを電車の中で見かけたことがあります。今では珍しくないけど、当時は珍しい緑色のオカッパの髪で、電車は空いていたけど、すごく目立っていました。

やっぱり、電車の中で横浜銀蝿の皆さんを見たこともあります。結構混んでいたけど、誰も目を合わせませんでした。車内にライオンが紛れ込んでいるみたいだった。

次男を産んで、わりとすぐに母と出版社のパーティーに行きました。その時、とてもキレイなお姉さん達に囲まれて、でもつまらなそうに普段着でいらしてた、椎名誠さんにお会いしました。嬉しくなって手帳に「サインしてください!」と言ったら、親切に、嫌な顔もせずにサインしてくれました。なんですけど、椎名さん、私の顔をじっと見てからサインの横に手足の生えたおにぎりの絵も描きました。その時、次男を産んでわりとすぐって書きましたが、少しというか、私の中では大変太っている頃でした。なので、おにぎりの絵は椎名誠さんにはそう見えたのか、と思い「えーっ!」でした。

これは見たわけではないけど、父と若き日の西田敏行さんが飲み屋で飲んでいて、西田さんは父に「あにさん、俺はね今にすごい役者になりますよ。」と言っていたんだと父に聞きました。本当にすごい役者さんになってしまいました。良い話です。西田敏行さん、有言実行です(偉そうに言ってしまいました)!

そういう話の中でも一番びっくりしたのが、ちーちゃんのパパですね。一体誰だと思いますか?

小学校1年生の時、一緒のクラスになったのが、ちーちゃんという女の子でした。

ちーちゃんはみんなよりも背も大きく、優しく、頭も良く、たれ目でいつもニコニコしている私達の自慢の学級委員さんでした。私も大好きでした。もめ事が起こるとちーちゃんに言えば、公平に考えて良い結果に終わるのです。

その頃、私は母のおかしな趣味で、文化統制をされていました。つまり、本でもマンガでもアニメでも、見て良いものと悪いものがあるんですね。その当時、「魔女っ子メグちゃん」が流行っていたので、見たかったんですが、我が家ではダメでした。私が「見たいなー。」と学校で言っていたら、ちーちゃんが「私の家で見ればいいよ。」と誘ってくれました。もうすんごく嬉しかったのを覚えています。

それで、学校から帰って母に「ちーちゃんの家に行ってくる。」と言って、いそいそとちーちゃんの家に行きました。玄関で、ちーちゃんのママに優しく迎えられて、客間に通してもらいました。客間にテレビがあったんです。客間なので、もちろんソファーも。で、私はソファーにかじりつきながら、すごい格好で真剣にテレビで「魔女っこメグちゃん」を見ていました。すると、カチャッ、と音がしてちーちゃんのパパが顔を出しました。そして「娘がいつもお世話になっています。」って1年生の私に言うのです。いや、お世話になっているのはこっちだし、すごい格好していたし、大人が子供にそんな丁寧なあいさつをするとは思わなかったので、こっちも慌てて「あっ、すみません。こっ、こんにちは。」としどろもどろであいさつをしてしまいました。ちーちゃんのパパは優しく笑っていて、焦げ茶色の高そうなセーター(たぶんカシミア)を着ていました。

その次にちーちゃんのパパを見たのは、学校の校長先生が上がる昇降台の上でした。有名な方なので、なぜか挨拶させられていました。恥ずかしそうに自己紹介をして、恥ずかしそうにちょっと話をして、昇降台を降りました。私達はちーちゃんのパパだと思い、でも、それ以上に気になったのがちーちゃんのパパの格好でした。白の背広の上下だったんですけど、その頃のお父さん達が履いていなかったクロップド丈のズボンを履いていたんです。なので、みんな頭の中で「ちーちゃんのパパ、ズボンが短い!」と思っていました。

今、考えるとすごくオシャレな人だったんですね。その人をその少しあとでテレビ「北の国から」の黒板五郎役で見ることになります。

そうです。ちーちゃんのパパは田中邦衛さんだったんですね。そう言えば、ちーちゃんの名字って田中さんだったな、と後で思いました。

ちーちゃん家はしばらくして引っ越してしまいました。

でも、もう1回会うんです。まだ小学生だったと思うんだけど、父と出かけて横浜駅のホームにちーちゃんとパパがいました。私が「あっ、ちーちゃん!」と言うと、ちーちゃんはやっぱりたれ目でニコニコして、近づいてきてくれました。するとですね、お父さん同士でも「やあやあ、久しぶりですね。」なんてやっているのです。父も知り合いだったようです。考えてみれば、父も芸能人でした。

その後、テレビで映画で幾度となく田中邦衛さんを見ました。

そして、父も田中邦衛さんも亡くなってしまいましたが、私にとってはいつまでも「ちーちゃんのパパ」なんですよ。ちーちゃん、今どうしているのかな?

器用不器用

こんにちは。ゆりりうすです。

この間はだいぶ興奮の回になってしまい、申し訳ないです。

でも、給食ってみんな共通の話題だし、いくらでも色々なことを思いだしませんか?それで、この間書きそびれた事を2つ。皆さんにもお聞きしたい!

1つ目は前回、私は東京23区、旦那は福岡県で給食を食べていたと言いましたが、三角紙パック牛乳派もビン牛乳派も

「紙パック牛乳(ビン牛乳)って水で薄めてあるらしいよ。だから生徒の背丈が伸びないんだって。」というようなことが言われていました。世代的なものなのか、都市伝説的なものなのか。なぞです。

2つ目はパンのこと。私と旦那では食べていたパンが違いました。私は給食パンと言えば食パンでしたが、旦那はコッペパンだと言うことでした。コッペパンは揚げパンの時だけだったなー、確か。これは地域で違うのか、世代で違うのか。どうなんでしょう?

ところで、昨日悲しいお知らせがありましたね。あの高見ノッポさんが昨年亡くなっていて、半年以上経って、ご本人のお誕生日の5月10日に発表されました。

私もノッポさんを見て、「できるかな」を見て育った口です。

最終回の放送の時に(二十歳を過ぎてたけど)初めてしゃべって、たまげました。でも、優しい声をされていて嬉しくもありました。

皆さんもノッポさんで色々思う事があると思いますが、私が一番嬉しく、一番救われたと思ったのがセロテープでした。この出現が画期的でした。

保育園の頃から工作する時は糊を使っていたので、なかなか上手くいかなくて、途中でグシャグシャになり嫌になってしまうことがしばしばでした。何しろ不器用な子(いや、今でも)でした。

だから、ノッポさんがセロテープを使ってパントマイムで楽しそうに工作をしてくれたことは、私にとって「それでいいんだ!」という発見をさせてくれたものでした。

88歳だったんですね。素敵な本物の生き方をされた方でした。

謹んで、ご冥福をお祈りします。

それにしても、そのテープ以前に子供時代を過ごされた人って、器用な人が多いんですね。家の父もそうでしたが、小刀、糊、ノコギリ、何でも使えましたね。

ジブリ映画「となりのトトロ」でも、かんた君が飛行機を「ブーン」と言いながら、飛ばす真似をするところがありましたけど、あれも全部昔からある物で作っていた感じ。仕上がりがとてもキレイに見えました。

それだからなのか、父はプラモデルもきっちり作れる人でした。何でもないことのようにキレイに作っていました。

それから、戦中派だからなのかハーモニカが上手かったなー。和音と主旋律(メロディー?)を同時に吹くことが出来て、一体どうやっているのか不思議でした。

旦那のお父様(私はお会いしていないのです。早くに亡くなられました。)もハーモニカが上手かったらしいです。

じゃあ、今の子が不器用かというと、そうでもないです。ただ遊ぶ物が昔と違うので一見不器用かのように映るだけです。やはり子供ってすごいですよ。

家の子供が小学生の時(男の子2人時代)。ゲームをやる時コントローラーを使うじゃないですか。あれをまるで蜘蛛なのかと思うような手の動きで、画面を見たまんま手元を見ないでやっているのを見て、驚きました。全然、今の子不器用じゃないです。スマホでもパソコンでもそうで、本当、さわるものが昔と違うってだけですよね。

私はアナログ人間なので、このブログを書いている時も、突然分からなくなると「助けてー!」と叫びながら息子の部屋に飛び込みます。迷惑母さんです。

スマホが動かなくなると「あっ、爆発する!」って思ってしまうので、もうお婆さんか!いや、今のお年寄りの方が出来るのかも。途中、トイレに行く事もままなりません。

助けて、ドラえもーん!です。