おいしい給食

こんにちは。ゆりりうすです。

本日は快晴で気持ち良く家の布団を全部干しました。花粉シーズンも終わったので、やっとです。ふー、これで今日の家事は全て終わったな!んっ、ひどいですか?すみません、家事苦手です。

私の母も家事が苦手な仕事人間で、好きな(出来る?)家事の順番が①買い物②料理③お裁縫④掃除、だったのでうっかりそれを引き継いでしまいました。じゃあどう暮らしているのかというと、旦那が家事の3分の2はやっています。まあ、悪質な妻ですね。

さあ、今日のテーマは給食です。

そう、日本が誇ってもいい数少ない(?)もの。給食です。

今、おいしいですもんね。昔、長男の保育園の給食試食会でポタージュスープを飲んで、たまげました。えっ、帝国ホテルのスープなの(飲んだこと無いけど)?レベルがものすごく高い!感動しました。

引っ越して、この郊外の小学校も美味しかったようです。時々バイキングメニューなるものがあり、日本の給食の進歩の仕方は半端無いです。

今、一番年下の娘の地元の中学校の給食のメニューを一部ご紹介。中華おこわ、プルコギ丼、ドライカレー、五目とりめし等々うらやましいー。

しかし、私の時代はそんなに美味しくなかったように思います。いや、美味しかったのかもしれないけど、子供の頃好き嫌いが激しい人だったのです。悲しいくらいに食べられないものが多くて往生しました。

もちろん、その頃から人気メニューの、カレーやソフト麺のミートソースや鯨の竜田揚げは美味しくいただきました。

ところで、昔のメニューって時々、何これ栄養価さえ合っていればいいの?みたいなのがあり、びっくりしませんでした?覚えているある日のメニューが「パン、マーガリン、牛乳、おでん、みかん」だった。信じられます?誰かの家に行ってこんなメニューで食事が出てきたら、暴れるか帰りますね。

そして私が苦手なのが人参でして。これが昔の人参って癖があって、苦くて、食べると何か目と目の間、鼻の上辺りが痛くなってくるという、それを私は憎悪しておりました。それなのに、おでんの中にデーンと生煮えの大きい人参が座っているんです。泣きそうになりました。その上、この時代は給食のお残しは一切厳禁!給食の時間が終わっても、昼休みが終わっても、掃除の時間が終わっても、放課後になっても、食べ終わるまで許してもらえない。本当に泣きました。もうトラウマですよ。

あと、マーガリンや揚げパンも無理でした。揚げパンはみんなが結構好きなメニューだったのに、私は駄目でそっと給食袋に入れて持ち帰ると、油が袋に染みちゃっていて母に怒られました。

それにしても、学校給食のあの牛乳信仰って何なんだろう?和食の時はお茶にして欲しかったなあ。

やっと本題です。すいません、前振りが長いですよね。悪い癖だと思うんですけど、まつわる事とか考えていると、いくらでも出てきちゃうんです。

心を入れ替えて。皆さん、「おいしい給食」というドラマをご存じですか?主演は市原隼人さん。そう、「リリイ·シュシュのすべて」のあの繊細な役を13歳でやった俳優さん。その後「ROOKIES」や「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」で有名になりました。が、しばらく出ないな、どうしたのかな?と思っていたら、こんな面白いドラマでバージョンアップして帰って来ました!(いや、ファンから怒られるかな。もっと色々やっていたのかな)。もう一度タイトルを言います。「おいしい給食」です。

これはですね、第1期が2019年10月から全10話、第2期が2021年から全10話、その上映画も2回やっている人気作品だったんですね。

私は知らなくて、コロナ中にCSで全部見ました。面白い!大爆笑!主演の市原隼人さんの給食愛がただ事ではない。まさに怪演でした。

あらすじは、とある公立の常節(とこぶし)中学校の国語教師、甘利田(あまりだ)幸男先生[市原隼人]が給食愛の為だけで学校に行っていると言っても過言じゃない日常を送っています。いつもドラマの冒頭で「私は給食が大好きだ」というセリフが入ります。そして、クラスの生徒、神野ゴウ[佐藤大志]君と給食バトルを毎回演じる、という簡単に言ってしまえばそれだけなんです。けど、給食の時間が異常なことになっているんです。これがすごくて。

まず、朝、給食のメニューを職員室で確認して喜ぶ、甘利田先生。もうニッコニコなわけです。でも他の先生に知られたくなくて、バレそうになると、サッと机の中に隠して何でもない振り。これが毎回なんです。そして給食の時間は先生も教室で食べるんです。その時、食べる前に校歌を生徒が歌うのが、この学校の決まりみたいなんですけど、その校歌が流れる最中、甘利田先生は座ったまんまノッリノリで踊っていて、喜びの踊りを踊っていて、これまた爆笑。で、校歌の終わりに必ず机に手をぶつけて痛がるというお約束。生徒も慣れているのか誰も先生を気にしない。これもおかしい。そして、いよいよ給食を食べ始めるわけですが、ただ食べるんじゃありません。もちろん本日のメニューを1つ1つ説明して、それがいかに素晴らしく、いかにこの組み合わせが奇跡的なものであるかを説明しながら食べるのです。

まって、しゃべりながらなの?ええ、そう脳内でしゃべりながら給食を堪能するのです。つまり、甘利田先生を演じる市原隼人さんはドラマの現場ではジェスチャーだけで静かなんです。そしてアフレコ(おそらく1人でやっている)とんでもないテンションでしゃべっているのです。すごい光景だと思いませんか?ただただ爆笑!

その上、毎日彼のライバルである生徒の神野ゴウが先生を、あの甘利田先生を出し抜いたような給食の食べ方をして、先生を驚かすのです。いつも給食を食べ終わった先生は満足しながら神野の方を見ると、神野君が何かやっているんですよ。甘利田先生はポケットの眼鏡をかけ直して、神野を見る。そして神野のマジシャン的なアイディアに打ちのめされて、その場で気絶する。全10話ずっとこれ!でも全く飽きない。っていうか、もっとくれー!と思ってしまう。市原隼人さんの振り切った演技もすごい!何か一皮も二皮も剥けましたね。前からいいな、と思っていたけどますます大好きになりました。

あー、私の子供時代にこの作品と出会えていたら、もっと給食が楽しくなったのに。くー、残念です。

他の役者の皆さんも豪華!給食のおばさんを伊藤まいこさん!校長を酒井敏也さん!って言っても誰って思っている人は「セーラー服と機関銃」のメダカ組の一番若造だった人、と言えば分かりますかね。それから甘利田先生が学校の帰りに寄る駄菓子屋のおばちゃんを木野花さん!そしてそして常節市教育委員会教育委員長を直江喜一さん!そう、金八先生の第2期「腐ったみかんの方程式」で不良役をやった加藤優こと直江喜一さん!もう見た目はすんごく変わってしまっていますが、今度は体制側をやるわけですよ。しかも名前が鏑木優。これは子供だけでなく大人にもおいしいドラマなのです!その教育委員長とのバトルもなかなかなのですが、やはり、ここは給食の場面に戻しましょう。

ミルメークが出てくる回」があるのですけれど、旦那は「うわー、懐かしい。」って言うんですけど、私は初めて見ました。私は東京23区で小学生をしていたんですね。で、牛乳って紙パックだったんですよ。23区全部がそうか分からないですけど、うちの学校は紙パック牛乳、しかも三角紙パック牛乳でした。だから特別な日はコーヒー牛乳になったりしていました。ところが、甘利田先生も旦那もビン牛乳なんですね。ビン牛乳の地域の人は特別な日はミルメークと言って、牛乳ビンの中に入れる粉末状のものを入れて、味をコーヒーとかイチゴとかに変えていたようです。本当に知りませんでした。

アメリカンドッグの回」も爆笑でした。アメリカンドッグ=アメリカ=英語という発想で甘利田先生が怪しげ英語を繰り出してくるわけで、いつもの机に手をぶつけるところなんか「アウチッ!」って言っていました。あー、涙が出た。

本当にぜひぜひのお勧め作品です。

詳しいことを書きますね。

ドラマ第1期 2019年10月から全10話

ドラマ第2期 2021年10月から全10話

劇場版「おいしい給食 Final Battle」

2020年3月

劇場版「おいしい給食 卒業」

2022年5月

あー、終わらないで欲しかった。もっと続けて欲しかった。

「おいしい給食 帰ってきた甘利田先生」とかやってくれないかなぁ。

お許しください

こんにちは。ゆりりうすです。

今日も張り切って、長文の面白話を書こうと思っていたのですが、身体がヘゲーっとなっている状態なので短めに。

私、雨の日や天気が安定していない時、寒い日なんかに弱いんですね。

そう、わりとそんな方は多いかも知れません。

でもですね、私は何やらセロトニンが普通の人よりだいぶ少ないらしく。これは小さな頃からなんですけど、なかなか眠れない、すっきり起きられない、日中ダルい、不安定で落ち込みやすい、そういう子でした。

今はそういう症状を緩和する薬をお医者さんに出してもらっています。こういう時は最果タヒさんとか大島弓子さんとかの作品を読むのがしんどく、川原泉さんの作品は読めます。安らぎます。

だから、今日は今までのお話の中で「あっ、これ言うの忘れたな。」というのを書こうと思います。

さっき、テレビで「スタンド・バイ・ミー」を見ていたんだけど、あれもかなり子供が傷付いているお話ですね。でも、話は好きだし、曲も好きだし、今は亡き子供時代のリバー·フェニックスを見ることができるので、ついつい最後まで見てしまいました。長男が小学6年生の頃、PTAの当番で朝通学路に立って「おはよー」なんてことを言う係をやっていた時に丁度、長男とその友達3人が横に並んで手をポケットに突っ込んでつまらなそうに歩いて来たことがありました。頭の中で思わずベン·E·キングが流れました。12歳。「お前ら、スタンド・バイ・ミーかよ!」脳内でそう叫びました。「おはよー」と言うのも忘れて、彼らを見送ってしまいました。その時、私は確かに線路と森を見た!

それから、「仮面ライダー·クウガ」の回で書き忘れていたんですけど、「仮面ライダー·クウガ」の素晴らしい感想を私とは全く違った切り口で、三浦しをんさんがエッセイに書いているのでそちらもぜひ。「桃色トワイライト」(新潮文庫)に収録されています。

数学の話の回で、それにちなんでお勧めの映画はやっぱり「グッド·ウィル·ハンティング」かなと思いました。マット・デイモン、ベン·アフレック、ロビン·ウィリアムズが出ています。監督はガス·バン·サントで、脚本がなんとマット・デイモンとベン·アフレックなんです。1997年の作品です。これはちょっと未来に希望が持てますよ。あと、ベン·アフレックがかなり粋です。

それから、今期のアニメの覇権は「推しの子」だと、子供達は言い確かに面白いです。私は「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」(通称、青ブタ)が好きです。

本日はこんなとこです。気候の変動が激しいので、皆さまも身体には十分お気をつけ下さい。ピカピカ晴れたら沢山書けるのでお待ちください。ではでは~

子供のプライド

こんにちは。ゆりりうすです。

今日は“こどもの日”ですね。いやーしかし、なかなか暑い!昔、学校で日本は温暖湿潤気候だと習ったような気がしますが、違ったかな?年々暑くなるのが早くなっています。

“こどもの日”にちなんで、子供ってどんな風に考えているのかを書きたいと思います。と言っている私がもうとんでもなく大人な訳ですが、色々覚えている事や、知っている事、聞いた事なんかをつらつら…という感じでやります。

私の母がお母さんになる頃(ずいぶん昔です)は、子供というのは1才くらいまであまり何も分からないので、まあ適当で大丈夫とか言われてたらしいのですが、これは現代では結構トンデモですなー。1才はおろか、赤ちゃん、もっと言っちゃえば胎児だって色々なことが分かるっていうのが、今の定説だと思います。

それから、妊婦は好きなだけ食べていいというのも。だから、母は体が小さかったのに、好きなだけ食べたので太ってずいぶん大きな子を産みました。まあ、私の兄なんですが。

これは最近は、妊婦、子供ともに負担が掛かり妊娠中病気になりやすい、ということで増えて10kg前後だと、私の頃はそう言われましたけど、今もそのままかな?

母は私が体重制限しながら「妊娠ライフ」をしていたのを「また流行なんでしょ?今に変わるわよ。」と言っておりましたが、様々な研究の末、今に行き着いていると思うので、流行ではないですよね。お医者さん達は頑張っています。日進月歩です。

さてさて、また飛んで今日のタイトルの子供のプライドにまつわるお話です。

私が通った小学校では、大体4人くらいが1年生から6年生まで同じクラスになるように設定されていたようです。すごく出来る子、まあまあ出来る子、普通の子、あまり出来ない子の4人を組ませていたと思います。何しろ子供の数が多かったですからね。学校も頭をひねりながら考えたんでしょう。だから私には1年から6年までに私を抜いた3人の同じ顔ぶれがずっと一緒だったのですが、その中のあまり出来ない子だったA君(仮)のお話をしたいと思います。

A君は1年生の時からずっと成績が良くない子でした。まあ、ぶっちゃけテストはのび太並みというところ。でものび太と違っていたのは、性格が少しひねていました。どうして、そうだったのかは分からないけど、いつも「けっ、面白くない。」という顔を6年間続けていました。クラスの人とも積極的に関わろうとしませんでした。B君という男の子とだけ話しているような感じでした。B君はずっと一緒だった子ではなく5·6年で一緒になった子です。不良ではないけれど、難しい子だなぁ、と思っていたので私は6年間一緒だったけど(ちなみに私は普通の子)、特に仲良くするでもなくなんとなく一緒のクラスにいました。

ある日のことです。A君にとって大変なことが起こりました。社会のテストで100点を取ったのです。なぜそれをみんなが知ってたかというと、5·6年で私達の担任になった新人の女の先生がそう言ったからでした。彼女はこう言いました。

「みんな、A君が100点を取りました。初めてですよ。拍手しましょう!」

みんなは驚いたけど、もっと驚いたのはA君だったでしょう。みんなは先生に促されるままに拍手を始めましたが、その時A君の顔を見て「ハッ!」としました。A君は嫌そうに、苦しそうに大きく顔を歪ませていました。

先生は嬉しそうに、大きく拍手をしていたけど、私達は止めました。A君が傷付いているのが分かったからです。A君のプライドがズタズタにされた瞬間でした。

もし、みんな1人1人が100点を取った時に拍手をする習慣があったのなら何も思わなかったでしょう。でも、先生はA君の時だけそう言ったのです。先生は良かれと思ってやったのでしょう。でも、私達はみんな気まずくなり、中には下を向いてしまう子もいました。

KYという言葉がありますよね。空気が読めない、という意味で使うそうですが、その時KYだったのは先生でした。

今の子はみんな大人に気遣うのが上手です。そういう風に育てられているから。

でも、私達の時代はそういう言葉はありませんでした。その代わり、子供同士の間で空気を読むことが出来ました。

色々な子供がいたのです。身体の障害を持っている子、貧乏な子、勉強の出来ない子、大人しい子、うるさい子、乱暴な子、わがままな子、外国から来た子。

だから、子供どうしでもきっとこの子は、こういう所を触れられたくないだろうな、という気持ちはみんな汲んであげるのが上手でした。それが当たり前でした。

でも、先生にはそれが分かりませんでした。クラスはシンとしてしまいました。そしてA君が椅子に座りました。先生もクラスの雰囲気がおかしいことに遅まきながら気が付いて真面目な顔になり拍手を止めました。みんなはA君に二度とその話をしませんでした。

これはきっと彼の傷になって残ってしまったでしょう。晒し者にされたのです。大人が子供のプライドを踏みにじる瞬間をクラス中で目撃しました。

それから何十年も経って、今度は私の次男のお話になります。

次男は1年生の時から授業中、黒板に書かれたことをノートに取るということをしない子でした。でも、授業が分からない訳ではありません。ただジーっと黒板を見て、自分の中でそれを消化していくのが彼のやり方でした。だから、ある時突然「あっ、そうか!」と言ったりしてみんなが驚いていたみたいです。みたいです、と言うのは私が次男の1·2年生の時の担任の先生から面談で聞いていたからでした。

その先生はわりとおおらかな先生で、次男がノートを取らなくても、気にせず分かった時に声を出すので、それで次男の勉強の習熟度を図っていたようです。

「次男君はとても面白いです。彼が[あっ、そうか!]とか[わかった!]って言うとあっ、この問題は大体みんな分かったかなー、と思って彼の反応で授業を進めていました。」と言ってくれました。良い先生だなぁ、と思って私は嬉しくなりました。実は次男はちょっとグレーゾーンと言われてた子だったので、私達親も心配だったのですが、彼に無理の無いように、楽しめるようにやらせていました。その事を先生に話した訳ではなかったけれど、先生は分かってくれていました。大変ありがたかったです。なので、宿題も音読以外は好きにさせていました。特に「やりなさい!」とも言いませんでした。でも、彼の成績はいつも良かったのです。

問題が起きたのは3年生になった時でした。新しい男の担任の先生と面談をした時に私はこう言われました。「次男君はなかなか宿題をやって来ないので、宿題をやって来た日はみんなで拍手をするのです。」「えっ?」私は耳を疑いました。そして頭の中に小学生の時のA君の顔が浮かびました。次の瞬間私は先生に怒鳴っていました。「先生、何て事をするんですか!何をやったか分かっていますか?あなたは次男を傷付けたのですよ。家ではそんな話をしないから知りませんでした。でも、あなたのやった行為は次男を恐ろしく傷付けたのです。前の先生に次男の事は聞いていなかったんですね?言わなかった私も悪いですが、二度とそのような事はしないでください!」

先生はびっくりして私の顔を見て、それから謝りました。若いし、やはり良かれと思ってやったのでしょう。でも、それは次男にとってきつい経験でした。また、私達の時代と違ってクラスの友達も先生の言う事をきちんと聞いてしまいました。

次男はだからといって、学校に行きたくないとも、もう嫌だとも言いませんでした。でも、私の方がショックを受けてしまいました。

今、その話をしても次男は覚えていないと言います。でも、大人はちょっとしたことで子供のプライドを傷付けてしまいます。私はA君の過去があったので、次男の時はすぐにそれは子供のプライドを傷付ける行為だと分かりました。

うーん、今回はちょっと重い話になってしまいました。でも、“こどもの日”ということで今、この国で若者の死亡の原因のトップが自殺というのが悲しすぎるので、こんな話を書きました。

次はもう少し楽しいお話をしますね。

でも、このお話で皆さんの気持ち、過去の子供時代の気持ちの中で少しでも「よかった探し」が出来るといいなと思っています。

なぜ0点を取ったか

相変わらず、色々な事の理解がかなり怪しい、ゆりりうすです。

今日は小学1年生の最初の算数のテストで

0点を取ったお話をします。

驚きますよね?私も驚きました。だって最初のテストなんてみんな100点を取れるようなテストです。それで0点。しかも全部答えを埋めて0点。

問題は例えば「りんごはいくつですか?」とか「りんごとみかんをあわせたらいくつですか?」というようなもので、間違える方が難しい。でも0点だったんです。

いったい私はどう考えてしまったのだろうか?この時、クラスの中でみんな「100点取っちゃった!」とか「満点だぞ~!」なんて言っている中で1人呆然としていたのですが、どういう訳か担任の先生は何も言いませんでした。何も説明しませんでした。

この事はずいぶんとショックを与え、以降0点なんてことは無くなりました。

その話をある日旦那に話したら、ある仮説を立ててくれました。

私はちょっと特殊な環境で育っています。母の趣味で、ごく小さな頃から映画、展覧会、絵本を多分ほかの子供より多く読んだり見たりしていました。

先生が渡したテストのわら半紙(って分かります?)に、手書きのりんごやみかんが並んでいました。恐らく、私にはそのりんごやみかんの絵が同じに見えなかったんだと思います。へたに沢山絵を見ているので、絵に疑問を持ったことが考えられます。そして文章。この文章は算数としての読み取りを求められていたのに、私は読み違えました。だから私は普通の文章のように読んでしまいました。

つまり、私から見てこのテストの問題は、りんごの数、みかんの数というより、違うりんごとみかんが並んでいるように見えたのでは。だから答えの欄に「このりんごは1つ、このりんごは1つ、このりんごは1つです。」あるいは「りんごとみかんはあわせられない。」こんな風に書いたのではないか、と旦那は言いました。

そう言われると答えを書く欄にはみ出すほどビッシリ書いた覚えがあります。

「0点事件」の真相は、こんなところだったのかも知れません。だから、次から問題の読み取りに気をつけた、と考えられます。

次もまた算数(私は算数で問題を起こす)の話です。

確か小学3年か4年で分数の割り算を皆さんやったと思うんですけど、あれ、すんなり分かりましたか?

私は分かりませんでした。なぜ、分数の分母と分子が逆になり、かけ算をすることで答えが導き出されるのか、全く分かりませんでした。

それで先生に「なぜそうなるのか分からない。」と聞いたところ、先生は「そのまま覚えればいい。」と答えました。

これ、文系の子(だと思う)が良く陥り考えてしまう公式です。

ジブリ作品の「おもひでぽろぽろ」の中にも主人公の子供時代のエピソードとして、これが出てきますよね?主人公は分からないので、お母さんに訴えると、お母さんは夕飯の支度の最中で2番目のお姉さんに算数を見るように頼みます。お姉さんは妹のどこか分からないのかが分かりません。妹は例えでケーキを使って「だって、こう考えたら、これはおかしい。」とケーキを切ることで問題の矛盾を訴えます。ところがお姉さんはびっくりした顔で「ねえ、お母さん、この子バカなの?こんな問題が分からないのよ。いい?学校で習った通りにやれば答えが出るのよ。」と怒ってしまいます。つまり、疑問の芽を摘んでしまいます。それで妹はすっかり自信を無くしてしまいます。

私も全く同じ経験を兄でしました。そしてやっぱり算数の自信を無くしました。その後、しぶしぶ納得出来ないまま分数の割り算をこなしました。これは私の中で「分数の割り算事件」として、長い間心の中にありました。

この疑問が解けたのは大学に入ってからでした。大学で仲良くなった人に大きい教室での講義中に私の長年の疑問を話してみました。その人はずっと算数、数学が得意でいつも5を取っていた人だったので、分数の割り算の仕組みを10分くらいで説明してくれました。納得できました。そういうことかと思いました。

と、同時に、なぜ先生や兄はその時こういう風に教えてくれなかったのでしょうか?あるいは先生は「今、説明すると長くなるから後で職員室にいらっしゃい。説明してあげる。」とでも言ってくれれば、私はもっと早くこの疑問を解決することが出来たのではなかったか、そう思いました。

意外と日本の子供達の算数嫌いは、こんな風に分からない事をそのまま放って置かれて、進んでいってしまうので諦めて嫌いになるのでは?と思い当たりました。

そして、算数、数学の低空飛行は続くのですが、学生時代が終わるともうそういうことで悩まなくなりました。

旦那と結婚してから、こんな話を聞きました。旦那も学生時代に数学は得意ではなかったようです。でも家には難しい数学の本が山ほどあります。多分、私が一生手に取って見ることがないようなものばかり。

「なぜ、こんなに数学の本を読むの?」私は聞いてみました。すると旦那は高校生の時に数学の先生に言われたことを話してくれました。それは「君たちは本当にもったいないことをしているよ。数学は言葉なのに。世界中で通じる言葉なのに。」と言ったんだそうです。それでか分かりませんが家の旦那は学校を出てから、数学の本を読むようになったらしい。面白いです。

でも、と考えます。数学者になる人は、子供の頃からずっと算数、数学が得意だった人ばかりなのでしょうか?私は、数学者の人達は、もっとゆっくり一生を賭けて数式を解くのが好きな人達がなるのではないかと思うのです。だって、数学が言葉ならば、その言葉の意味を考えて一生を終えることは、ずいぶん幸せなことではないですか?

かのアインシュタインは高等数学が苦手だったそうです。でも世界中の人が知っている理論物理学者です。

私がなれたかどうかは分かりませんが、子供時代に算数が良く分からなかった子に、もっと丁寧に教えてくれる先生と会うことが出来たら、その子は数学者や物理学者になったかも知れませんよね?もしそうなんだとしたら「実にもったいない!」

数学じゃないけど、家の子供達のお勧めで科学のマンガ「Dr.ストーン」と生物のマンガ「はたらく細胞」は「実におもしろい!」です。

今日は生理の話

こんにちは、ゆりりうすです。

最近、すごい生理用品があるということを耳にしてしまいました。

なんと、トイレットペーパー型の生理用品です!ロールに1つ1つナプキンがパッケージに入ってつながっていて、必要な時に切り離して使えるんだそうな。

画期的ですよね。すごい。これなら学校なんかで女の子が男の子の目を気にしないで入れますよね。

だから、どの学校にも設置して欲しいなあ。それが無理なら女子トイレには生理用品が用意してあるとか。夢みたい。

昔、図書館に勤めていた時に矢野顕子さんの本「ひみつのアッコちゃん」という本があって、矢野顕子さんが様々なテーマに挑戦していくんだけど、その中にユニチャームに1日入社みたいな企画があったんです。で、アッコちゃんがびっくりしたのは会社の女子トイレには当社の生理用品の新製品が大きなカゴの中にいっぱい山盛りなっていてドーンと置いてあることで「いいなー、うらやましい!」というようなことを言っていました。

生理の貧困なんて言葉が出来てしまいました。

この国の人が女の人を大切に思ってくれるのなら、是非女子トイレにいつでも誰でも新しい生理用品が使えるように設置して欲しいですね。そういう予算を国が取ってくれないかしら?

実は私も、生理になった十代からずっと生理用品は自分のおこずかいから買っていました。それには訳があります。

初めて生理になった時に丁度家のトイレでなったので、トイレを出てから部屋にいた母に「なっちゃった。」と言ったら「メンス?」と聞いたのです。メンス?えっ、いつの時代?

それで母が私に用意したという生理用品をもらったんですけど、これ、いつので、どこで買ったの?っていうくらい何か厚ぼったくて大きな使いにくそうな物でした。私はそれでも、あの母が私の為に用意してくれたんだから「ありがとう。」といって受け取り、女友達に教えてもらった今時の生理用品を買いに、薬局まで走りました。それからずっと自分で買っていました。母は不思議な人で、それ以来私に生理のことも生理用品のことも聞くこともなかったので、自分の少ないおこずかいから毎月買っていました。おかしな母ですよね。娘の生理には全く興味がなかったようです。

生理といえば、私の小学生の頃、女の子は五年生になると女の子だけで、教室じゃない部屋に連れて行かれて、生理の仕組みと手当てについて教わるのです。私の時代はスライド(今の若い人は知っているかな?)で仕組みを教わるのだけど、何だかひどく分かりにくかった。その上、そこで紹介されていた生理用品は「えっ、戦前?」って思うくらいの何か四角いガーゼに紐みたいな物がついていて、その上に脱脂綿のような物を乗せて体に付けてパンツをはく、というのだった気がする。

これ見て、まだ生理を迎えていない子が分かると思います?結構難しかった上に私の理解力が全くついて行かなくて、とても奇妙なものになってしまいました。

どう理解したかというと、まあ女の子の穴からパチンコの玉みたいな白いものがザーっと出てくると思ったので、えっ、それだとパンツに玉が山盛りになって男子にばれちゃうよな!と。で、それが1週間も続くなんて、どうやって学校に通えばいいんだろう、と頭の中が?マークでいっぱいになっていました。

それで心配になったので友達に「ねえ。」って私が理解した事を話して「そんな事になっちゃうの?」と聞いたら、「えっ、違うよ!」ってすごく驚かれて、女の子3人くらいにどうなるのかを説明してくれました。おかげで、どうなるかは理解できたけど、私の答えに友達は本当にびっくりしていました。

そうですよね。本当に当時から私の頭の中は変なことになっていました。まあ、それは三つ子の魂百までで、今に至るまで時々考えられない理解と間違いを仕出かします。

男子はお決まりの「ねえ、何の話だったの?」と聞き、女子は「教えない。ひみつ。」というお決まりの答えをやっていましたが、私の考えたことなんか話せませんでしたね。

だって、それは人間じゃないですよね?

っていうか地球上の生物でもないです!

私の特別ルーティーン

こんにちは、ゆりりうすです。

皆さんは旅行に行く時、どんな用意をしますか?

まず、荷物を用意しますよね。衣類とか、タオルとか、本とか、服を洗う石鹸とか。場所によってはトイレットペーパーまで。お金と海外だったらパスポートも忘れずに。そして海外の場合は現地の言葉を少し。「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「ごめんなさい」「これは何ですか?」「これはいくらですか」「助けてください」等々…。

でもですね、私はこの他にもう1つ用意するんです。

それは旅行に行く土地の妖怪を調べてから行く、ということです。えっ、何言ってんの?まあ、そう思うのも仕方ありません。普通の人はそんな事しないのかもしれません。っていうか、しないですよね?

実は、私は水木しげるドップリ世代。しかも鬼太郎の。だもんで、妖怪はいる前提で生きています。子供の時から家にある本で「いちばんくわしい日本妖怪図鑑」佐藤有文著(立風書房·ジャガーバックス)と「いちばんくわしい世界妖怪図鑑」佐藤有文著(立風書房·ジャガーバックス)が今でもしっかり活躍しています。

この本は当時430円で消費税もなかった頃だから、子供のおこずかいで買えました。もちろん絶版です。

今、これを書くにあたって、この本の事を調べてみたら、一度復刊して(違う出版社)もう絶版になっていました。しかも復刊で売っていた時の値段が4千円台で子供の頃に手に入れた時の10倍でした。どうしても手に入れたい人は古本屋で探して1万円くらいはするらしいです。

少し話がずれたので元に戻して、この2つの図鑑を使って、行き先の妖怪を調べてメモをして出かけます。

だって恐いじゃないですか?知らない土地に行って妖怪が出たらどうします?

例えば、旦那と結婚して初めて旦那の郷里の福岡県へ行った時は、福岡県→河童とぬりかべだな。だから、河童はキュウリ。ぬりかべに会った時は棒で足元をはらうと消えるんだな、とか言って会った時に備えます。

同じように独身の頃、海外に行く時も調べました。

イタリア→幽霊騎手。手立てなし。

イタリア→吸血グール。少女や子供だけを狙う。少女じゃないから平気か。

アイルランド→とりかえっ子。子供がいないから大丈夫。

イギリス→モズマ。恐ろしいことに身体が裏返しになっていて、人間の頭から脳ミソを吸い取ってしまう。手立てなし。

中国→女夜叉。子供だったら、振り向かなかったら助かるかも。

ロシア→地底魔王ブイイ。手立てなし。

アフリカのジャングル→さかさ男。3回言葉をかけてくる。「お前は男か?」「女だ」「お前は子供か?」「大人だ」という風に全部反対に答えないと手足を逆さまにされてしまうのだ。これは恐くて小さかった時、家で一生懸命練習した。でも、よく考えたら私はアフリカの言葉を知らないので、日本語で答えてもきっと駄目で手足を逆さまにされてしまうな、と膝から崩れ落ちたものです。

こんな事を紙に書いてカバンに入れて安心します。はい、少しおかしい人かもです。でも、子供の時からの癖なので、これをやらないと落ち着きません。

それでありながら、妖怪は好きなので小学1年生の時からテレビで妖怪映画は見る。

クリストファー·リーのドラキュラシリーズは本当に恐ろしくて、うなされるは、作文に書いちゃうは、で散々でした。

あと、俳優の竹中直人さんも好きだという「ヴィー」。これ、当時邦題が「妖婆、死棺の呪い」だったと思います。これも恐いのに何度も見ました。今、手に入れられるんでしょうかね?

あと、高校生の時、母と一緒に井村君江先生と「イギリス、アイルランドケルト文化と妖精ツアー」に行ったら、本当に幽霊が出ちゃった事がありました。

それはイギリスの古城をホテルにした所だったのですけど、私と母はホテルの新館に泊まったので何もありませんでした。問題は古城だった古い方に泊まった人達です。何でも天蓋ベッド付きの古い部屋で、夜中にベッドの周りを誰かが歩き回っていて、衣擦れの音までしたそうです。多分、その城の持ち主だった人か貴族の人か、どちらにしろ高貴な人だったのではと、次の日の朝食の席ではその話で持ちきりでした。しかし、イギリスだからそんな事もあるかな、と後になって思いました。

それから、これは日本で私の父が体験した話です。

父は落語家だったので、演目で「お岩さん」を演る時はきちんと四ツ谷の四谷於岩稲荷田宮神社にお参りします。これは舞台をやる方や歌舞伎役者さんもそうですよね。

それでお参りをして父はその日高座へ上がりました。話をしている最中、後ろの舞台の裏を誰かがスッスッと歩く足袋の音がします。父は話しながら「あれ?」と思ったそうですが話を終えて無事高座を降りました。楽屋に入り、中の人に「ねえ、俺が話している最中誰か舞台の裏を通らなかった?」と聞いたら、皆「いいえ、誰も通ってません。」と言ったそうです。それで楽屋は大騒ぎ。じゃあ、今のあの足音は何だったのかと皆でゾッとした、とこういう話を子供の頃に聞きました。

今、21世紀に入っても、いい年になってもまだ妖怪を信じています。

父は鬼籍に入りましたが、まだ出てきてくれません。でも私が死んだ時は是非とも出て、みんなにいたずらして驚かせて面白がりたいなあ、と悪趣味な事を考えています。ごめんこうむります?

賢治なの?

皆さんの街にはバスが走っていますか?

まあ、大体走っているのかな。でも最近大きいバスは採算が取れないのか、本数が少なくなっているような気がします。そこで便利なのがミニバスです。小さいけど安く20分おきに来てくれるのでよく使っています。

その私の街のミニバスのお話。

私はまあまあ郊外の街に住んでいます。車も持っていないので、どこか移動する時は自然にバスと電車ということになります。子供の頃からバスが大好きで、大事な足でした。兄と争ってブザーを押したがったものです。あれ、大人になるとみんな面倒くさくてギリギリまで押さなくなるのはなんででしょうね?

まあ、とにかくミニバスお話です。

最近すごくお気に入りのミニバスの運転手さんが出来ました。どこがお気に入りかと言うと、その人の“語り”なんですね。普通のバスの運転手さんて比較的黙っているか、話しても注意事項ばかり言う人が多いですよね。まあ注意は大事な事なんですけど。時々、混んだバスで少々声を荒げながら注意事項を並べる運転手さんだと「ふー、疲れる…」なんて思ってしまいがち。

でもですね、私の街のミニバスの運転手さんのYさんは違うんです。はい、嬉しくて名前を確認してしまいました。初めは「あー、話し出した。またうるさい人かなぁ(失礼)。」と思っていたんですけど、そのうち「ん?」と気が付いたんです。Yさんは注意事項を最小限にして、あとはずっと道案内みたいな事をしゃべるんです。これがね、優しい声でバスガイドさんなの?みたいな事を言うもんだから聞いてるうちに気持ち良くなってくるんですね。小さい子供が降りる時は「気を付けてね、バイバイ。」とか言うんです。その上運転も上手。結構坂があるのに滑るように走ります。その日は星が綺麗な夜。もうまるでね「銀河鉄道の夜」です。でもバスなんで「銀河バスの夜」で、自分が降りる停留所まで夢見心地でした。

降りる時に「素敵です。Yさん!」と言おうと思ったんだけど、すごく真剣な顔をしていたのでやめました。でも気分は「素敵です!」だったので、家に帰って家族にその話をしました。

そしたら、この前中学生の娘とミニバスに乗ったら、運転手さんがYさんでした。心の中で「よし!」と思って娘と乗っているといつものバスガイドが始まりました。娘も目を見開いて「本当だ!」という顔をしてこっちを向いていました。なので、降りてから家まで娘とYさんのことで盛り上がりました。

昔、大学生だった頃(別の場所に住んでいた)、帰りが遅くなると四人掛けの電車の中はすごく空いていて、一人で腰掛けながら夜空を見上げて「あー、銀河鉄道の夜!」と思っていた事を更に思い出しました。

Yさんは自分の仕事に誇りを持っている人です。

おかげで久々に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み返したくなりました。

あー、素敵です。カムパネルラです。ジョバンニです。「みんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん焼いてもかまわない。」「だけど、ほんたうの幸せって何だろう。」

そのうち自分は告白するんじゃないかと。今はその心配をしています。